
尾瀬のふもとに伝わる歌舞伎|まだ知らない尾瀬ストーリー#10

HagiwaraMai
- 2025年08月18日
“尾瀬”と聞くと思い描く景色はどんなものでしょうか?
「湿原と山と木道」という景色を思い浮かべる方が多いかもしれません。尾瀬はその景色があまりにも有名で、その成り立ちや歴史、その周辺地域のこと、そこに関わる人々のことはほとんど知られていません。じつは尾瀬には感動的なストーリーがいくつもあるのです。
尾瀬をこよなく愛するOze Nature Interpreterの私が、尾瀬のさまざまなストーリーをお届けします!
江戸時代から続く、檜枝岐歌舞伎を支える“愛と想い”
尾瀬のふもと、檜枝岐村には江戸時代から伝わる檜枝岐歌舞伎がある。年4回の公演があり、内3回は村外の方も観ることができる。この歌舞伎は、檜枝岐村の方々が役者も裏方もすべてを行なっている。
山小屋の支配人だったり、役場の職員だったり、食堂でお蕎麦を打っている人だったり、キャンプ場を運営している人だったり……。そんな普段役者ではない人たちが、公演の日には“あっさりと”すばらしい演技をしたり、裏方として公演が無事に終わるよう支えたりしている。
しかし、その中で唯一、村外からこの檜枝岐歌舞伎を支え続ける人がいる。義太夫語りを行なう、室井一仁さんだ。

彼はとなり町の南会津町から、檜枝岐歌舞伎の重要な語りを行なうため通っている。出演する際の芸名は「竹本仁太夫(ひとたゆう)」。平成29年から名乗っている。
じつは室井さんが檜枝岐歌舞伎の義太夫を引き受けるまで、語りを行なう人がおらず、録音されたテープで公演がおこなわれていたという。私は室井さんの義太夫語りが大好きで、歌舞伎の公演中に少し隠れたところにいる室井さんをわざわざ覗きに行く。なんとすばらしい語りだろう……。私の中ではいつしか“推し”のような存在になっていた。もちろん役者さんたちの演技もすばらしくてうっとりするのだが、室井さんの語りがさらにこの檜枝岐歌舞伎の味わいを深くしていると強く感じている。
今回はその室井さんへインタビューをさせていただく機会をいただいた。ここに書いた文章から室井さんの静かに胸に秘めている強い想いと精神性が、少しでも伝わってくださったら幸いです。

いろいろと不思議なご縁が重なって、檜枝岐歌舞伎に15年も関わり続けている室井さん。
「こういう活動をやるようになったきっかけは、子どものときに出会った会津田島祇園祭の子供歌舞伎で、12歳のときに初めて役者をやりました。16歳までやっていましたね。最初は全然興味がなかったんですけど。10歳までは、屋台に上がらせてもらったときに揺れるのが怖くて、泣いたりしていました。それがどういうわけか、11歳になったら、1度乗れないだけでぐずるほど、屋台オタクになってしまいました(笑)。続けられたきっかけは、とくに覚えていないんですけど、多分、子供歌舞伎をやっていたときにいてくれた周りの人たちが温かくて、徐々にのめり込んでいったような気がします。歌舞伎の関係者もそうですが、観にきてくれている人たちもとても温かかったんですよ。そしてそこから“地元のために”と、思うようになっていった気がします。短大に進もうと思ったときも、この歌舞伎のことがあるから、『試験のスケジュールが重なったら、歌舞伎を優先させてくれるか』とオープンキャンパスのときに聞いてしまうくらいでした(笑)」
若いころから地元と歌舞伎に対して愛があった室井さん。いまも続けている義太夫を初めて語ったのは13歳のとき。 義太夫語りを始めたのもやりたかったからではなく、偶然だったとのこと。


「全国的な子供歌舞伎のフェスがあって、そのときに子供歌舞伎の義太夫をどうしようか、ということになったんです。それまでは一時期の檜枝岐歌舞伎のように録音されたテープで演じていたのですが、そのときにはきちんと生の演奏でやったほうが良いだろうということになり、大歌舞伎の義太夫語りの重鎮でいらした竹本綾太夫師匠に町がご相談をしたんです。そのときに私の母が『いつも息子が師匠のテープで練習をしていて、役作りのために義太夫語りを少し覚えたんですよ』と話しかけて、『え?そうなの、じゃあ語ってごらん』と言われて語ったら『子供歌舞伎って言うくらいだから、子どもが語っても良いかもね』ということになって、そのときの流れで“私が語る”というふうになりました。後日、自分の義太夫語りをテープに吹き込んだものを綾太夫師匠に聞いていただき、なんとか合格して本番も私がやることになったんです」
このときは“語り”だけ。37歳になった現在も続けている三味線は、17歳のときに始めることになる。三味線の手ほどき自体、きちんと習ったのは1泊2日だけ。その後は語りも含め、独学で腕を磨いているというから、これにも驚かされる。
檜枝岐歌舞伎に呼ばれたのは23歳のとき。当時、檜枝岐歌舞伎を演じる「千葉之家花駒座」の新たな座長に就くことになった、星長一さんから声をかけられたのがきっかけだった。
「短大生のときに南会津町の大桃の舞台で語ったとき、長一さんが公演を聴いていたそうなんです。そのときに長一さんが『なんであの若さであの声が出せるんだ』と思ったらしく、そこで『いつかは檜枝岐村歌舞伎でも語りをやってほしい』と思ったそうです。檜枝岐歌舞伎をやってみないか、と声をかけていただいたときは『そんな大役をお願いされるとは!』と思いましたね。もしやることがあっても、こちらからお願いするんだと思っていましたから」


それから15年。檜枝岐歌舞伎では、室井さんの義太夫語りで公演が行なわれている。
「毎回、右肩上がりで上手くなっていかないといけないと思っています。竹本(歌舞伎における義太夫のこと)としてしっかり勤め上げないと、役者さんには伝わらないですからね。稽古1回たりとて気は抜かずに、『役者さんの演技がこうだったら自分はこうしたほうがいいのでは』とギリギリまで突き詰めてやることを、こだわっていきたいと思い続けています」
今年の3月まで南会津町の役場で職員として働きながら檜枝岐歌舞伎を支えてきた。しかし、4月からは職員を辞め、いままで続けていた活動とこれから新しくやっていく活動に専念していくとのこと。
「役者さんから『太夫さんのおかげで歌舞伎がここまでになりました』と言っていただいたり、『太夫さんが生でできなくなったら役者を降ります』と言ってくださる方もいます。お客さまからも、最初は『生はちがうな!』と言われていたのが、いつからか『絡みが絶妙だ』と感想を言われるようになりました。このような感想をいただくと、いくらかは竹本の勤めができているのかな、と気づいたりして。それがありがたくて、モチベーションになっていたりしますね。あとは仮にヘマしたとすると、せっかくの檜枝岐歌舞伎の280年の伝統が台無しになってしまう。『となり町の若造が台無しにした』と絶対に言わせる訳にはいかないので、それもモチベーションになっていたりします。それと、語りのトップだった綾太夫師匠のお名前を汚したくないというのもあります」

「役者さんが気分良く演じられる演奏をすることが竹本の仕事」と誇りをもって話す姿に、ただただ尊敬を覚える。これからもこんなにすばらしい“愛と想い”のある室井さんに、檜枝岐村の伝統を支え続けてほしい。今回のインタビューで、改めてそう感じたのでした。
この記事を読んで、檜枝岐村のすばらしい伝統芸能と室井さんに会いたくなった方もいらっしゃるのではないでしょうか?
次回の公演は、8月18日(月)と9月6日(土)。ぜひ少し涼しくなった尾瀬とともに、檜枝岐歌舞伎にも足を運んでみてくださいね!

イベントのお知らせ
今シーズンは尾瀬の福島県側の登山口のひとつ、「御池(みいけ)」でイベントを行ないます。詳しい情報は下記のリンクをご確認ください!みなさまのお申し込みをお待ちしております!
2025.9.27(土)EVENT
【尾瀬の天の川と星や宇宙をめぐる夜-第2夜-】を開催します!
https://note.com/ozenature/n/n677c8f84a47f
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PROFILE

ランドネ / Oze Nature Interpreter
HagiwaraMai
尾瀬高校自然環境科の卒業生であり、尾瀬のビジターセンターや山小屋、ガイド団体で働いた経歴をもつ。現在は、尾瀬をこよなく愛するOze Nature Interpreterとして尾瀬とその周辺地域の知られざるストーリーを伝える活動をしている。
尾瀬高校自然環境科の卒業生であり、尾瀬のビジターセンターや山小屋、ガイド団体で働いた経歴をもつ。現在は、尾瀬をこよなく愛するOze Nature Interpreterとして尾瀬とその周辺地域の知られざるストーリーを伝える活動をしている。