“りさ兄ちゃん”が20歳のときにすごした喜界島
バックパックに衣食住を詰め込んで旅に出た。こんなふうに出かけるのは何年ぶりだろう。目指すのは奄美大島の東に浮かぶ島、喜界島である。
ぼくの祖父の一番下の弟は、海軍予科練の特攻隊員だった。20歳のとき、終戦時にいたのが喜界島で、あと少し戦争が長引いていたら敵艦に突撃していたそうだ。混乱の最中、どうやって故郷に帰ってきたのかもわからなかったという。そして戦後を生き抜き、8年ほど前に他界した。
名前を成瀬鯉三郎(りさぶろう)と言った。若いころから文武両道。祖父は「りさ」と呼び、甥にあたるぼくの父は「りさ兄ちゃん」と呼んでいたので、ぼくらもそう呼んでいた。背が高く、いつもジーパンにサングラス。父にとっては憧れのおじさんだった。
晩年になって、りさ兄ちゃんは喜界島でのできごとを少しだけ話してくれた。
「サトウキビ畑の一本道を歩いているときに米軍のグラマン機が飛んできてよ、飛行音が変わったわけよ。急降下したとわかった。部下を連れとったもんで、部下は死なしちゃいかん。慌てて逃げて、すんでのところで横っ飛びにサトウキビ畑のなかに飛んだんや」
次の瞬間、道には激しい機銃掃射が浴びせられた。
「飛行機は急には進路を変えられんでよ。間一髪のところで助かったというわけよ」
大叔父はなぜ特攻隊に志願したのか。喜界島の風景を見てみたい。そんなことを思いながらも忙しなくときはすぎてしまったのだった。
サンゴでできた島、そして戦争遂行上最重要戦略基地となった島
喜界島を訪れる前に鹿児島の知覧特攻平和会館と万世特攻平和祈念館に立ち寄った。そして鹿児島港17時30分発のフェリーで喜界島を目指した。およそ11時間の船旅である。
フェリーは定刻どおり、翌朝の4時20分に島に着いた。あたりはまだ真っ暗である。夜明けを待って歩き始めた。
予科練の特攻隊だったこと以外、なにも情報はない。とりあえず戦跡を訪ねて歩いてみようと、海岸沿いの荒木中里遊歩道を歩くことにした。島最大の海水浴場スギラビーチの脇に戦没者慰霊碑がある。
碑文によると、昭和20年、米軍が沖縄に上陸すると喜界島は戦争遂行上最重要戦略基地となり、連日連夜にわたって米軍機の猛爆撃を受けたという。
また、喜界島は知覧を飛び立った特攻機の給油地でもあった。特攻機のタイヤに付いた種がこぼれ、島にはなかった赤い花が咲いた。人々はそれを特攻花と呼んでいる。
ところで、喜界島は日本では珍しいサンゴでできた島である。10万年前に隆起した島の周りに珊瑚礁ができ、長い時間をかけて島を形成してきた。いまも年間2mm隆起し続けているという。ということは、島自体が石灰岩でできているということである。石灰岩といえばクライミングではおなじみの岩。大きな岩こそ少ないが、海岸には石灰岩の岩棚がどこまでも続いていた。
スギラビーチはサンゴのリーフに守られていて、外海は白波が立っているのにリーフのなかは不思議なくらい穏やかだった。その水は透き通ったブルー。大叔父が島のどこにいたのかはわからないが、ほんのひとときだけでも、この海の色を見て美しいと思えただろうか。
ほんの少しだけでも自分ごととして想像の翼を広げてみる
遊歩道はコンクリートで整備され、かつ海が見えないガジュマルの森のなかを行くので、海岸沿いの岩棚を歩くことにした。侵食によって迷路のように入り組んだ岩場を、溝を飛び越えながら進む。途中、大きめの溝の前で休憩した。クライミングシューズを持ってきて良かった。未登の岩でボルダリングに興じる。岩はガバだらけだが、ガビガビのトッキントッキン。手が滑ろうものなら大怪我は間違いない。
左手前方に高さ10メートルほどの岩が見えた。地図を見ると、そこで遊歩道と合流するのだが、少し戻ったところに殉難供養塔があることがわかった。
供養塔はすぐに見つかった。アダンの木々に覆われていて、それまでの開放的な雰囲気とは明らかに違う空気が漂っている。昭和20年5月に空中戦で4名が亡くなった。
「りさ兄ちゃんが来たよ」
思わず、大叔父の名前が口をついて出た。この人々も大叔父の戦友だっただろうか。
遠く離れた南の島の戦争の歴史を、自分の足で歩いて見聞きするとは思ってもいなかった。戦争の歴史など、どちらかといえば遠ざけたいものだった。しかし、この島の戦史は、ぼくに直接繋がる歴史である。そのことが、足を前に踏み出させる原動力であった。
ものごとを考えるときに大切なのは、ほんの少しだけでも自分ごととして想像の翼を広げることなのかもしれない。なかなかそれができないけれど、ほんの少しでもそうすることができたなら、目の前に広がる風景はまた違ったものに見えてくる。
著者:ライター・絵描き・クライマー/成瀬洋平
1982年岐阜県生まれ、在住。 山やクライミングでのできごとを絵や文章で表現することをライフワークとする。自作したアトリエ小屋で制作に取り組みながら、地元の岩場に通い、各地へクライミングトリップに出かけるのが楽しみ。日本山岳ガイド協会認定フリークライミングインストラクターでもあり、クライミング講習会も行なっている。
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