
夏の終わりとオン・ザ・ロードの始まりVol.2──寄り道の先に
寺井杏雛
- 2025年11月06日
旅の途中で、ふと足を止めた湖のほとり。
風の音と水面のきらめき、そして一人のクライマーとの出会いが、私のなかのなにかを少しだけ変えた。
寄り道は、ただの遠回りじゃない。
それは、思いがけず自分を自由にしてくれる時間なのかもしれない。
文・写真◉寺井杏雛
編集◉PEAKS
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ロードトリップの始まり

私の住むスコーミッシュは、カナダ西海岸・ブリティッシュコロンビア州にある小さな街だ。そこから東へ1,000km弱クルマを走らせると、雄大なロッキー山脈が連なるアルバータ州の西端にたどり着く。今回はロードトリップらしく、途中の街・ケローナの湖畔へ寄り道することにした。
せっかくのケローナでなにをしようか迷っていたところ、出発前日、ケローナに暮らす一人のクライマーを紹介してもらった。

初めてのロードトリップは心配をよそに、楽しいものだった。海を眺めながらバンクーバーを通りすぎると、そこからは地平線へ真っ直ぐ続く道。次第に世界は乾き、青空と大地のコントラストが際立っていく。やがて、海のように大きなオカナガン湖が現れた。そこから少し北上すると、今回の目的地・エリソン湖だ。到着は夕方。少し泳いで涼み、食事をとって眠りについた。
湖畔の気づき

翌朝、紹介されていたクリスチャン・コアが笑顔で現れた。彼は2008年、当時「世界最難関」とされた岩を初登した人物だ。レジェンドと呼ばれるクライマーに共通するように、彼もまた物腰の柔らかい人だった。
岩場へ向かう途中、彼はエリソン湖のことを愛おしそうに語ってくれた。鼻を近づけると樹皮からほのかにバニラの香りがする木のこと。草むらの気配の正体がシマリスであること。そして湖には、全長2mの巨大な魚が棲んでいるかもしれないということ。
岩は湖のすぐそばにあった。大きなクライミングエリアというより、岩が点々と散りばめられていて、それらを順々に追いかけていく。岩から岩へ移動するたび、シマリスが現れては、また姿を消した。

なかでも印象的だったのは、湖を背に登る「Slabacadabra(スラバカダブラ)」という課題だ。「スラブ」と呼ばれる岩の形状に、“アブラカダブラ”の呪文をかけ合わせた名前が可愛らしい。人が登った形跡は少なく、私は緊張感と高さに押され、何度も途中で降りては登り直した。一手一手をていねいに確かめ、ようやく岩の上に立って振り返ると、翡翠色の湖が静かに佇んでいた。まるで本当に呪文で生み出されたような光景だった。

滞在時間こそ短かったが、クリスチャンがエリソン湖を慈しむように、私にとってもこの場所は特別なものになった。きっと世界には、まだ知らないローカルな遊び場が星の数ほどあるのだろう。そう思えば、目的地を急ぐより、寄り道をもっとしよう。偶然の出会いや、人づてに教えてもらう温もりある場所──その一つひとつが、旅を静かに、しかし確かに彩ってくれる。そして、そういう旅こそが私に「自由」を与えてくれるのだと、湖畔ですごしたひとときが教えてくれた。

この寄り道の先に待っているのは、ずっと楽しみにしていたロッキー山脈。雄大な山々の麓でどんな景色や人に出会えるのか──胸を高鳴らせながら、再びハンドルを握った。
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文・写真◉寺井杏雛
編集◉PEAKS
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