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大叔父の足跡をたどって~最終話~特攻とはなんなのか。「死に方」しか選ぶことができなかった時代|筆とまなざし#458

石垣の細い路地を歩きながら、若き日の大叔父の姿を想像してみる

上山さんと邂逅した浜から、海岸沿いの道を小野津まで歩いた。

喜界島の昔ながらの民家は石灰岩の石垣に囲まれている。石垣と石垣の間が入り組んだ細い路地になっていて、まるで迷路のようである。要所に魔除けの石碑「石敢當」があり、この島の習俗を垣間見ることができる。上山さんのお宅も近くのはずだが道が複雑すぎてさっぱりわからない。当てずっぽうに歩くと、見たことのある場所に出た。上山さんのお宅をお暇してから外内さんが案内してくれた空き地である。

立派な石垣に囲まれた、だだっ広い空き地。草が生い茂り、みかんの木がポツンと生えている。この場所には、戦時中、大叔父が兵舎として寝泊まりしていた民家が建っていた。ずいぶんと大きなお屋敷だったことが窺える。

この石垣をくぐり、通りを駆けていく若き日の大叔父の姿を想像してみる。しかし、それがどうしてもできない。知覧の特攻平和会館でも軍服を着た大叔父の姿を想像しようとしたのだが、うまく想像できなかったことを思い出した。通りに立ち尽くし、その理由を考えた。

軍服は個性を剥奪し、個人を匿名化させる。取り替え可能な捨て駒のように。けれども、ぼくにとって大叔父はりさ兄ちゃんであり、それ以外の何者でもない。匿名化されていない、かけがえのないぼくの大叔父。だからこそ、軍服を着た大叔父の姿を想像することができないのだとわかった。

特攻とはなんなのか

特攻とはなにか。大叔父はどうして特攻隊に志願したのか。特攻死した人々と生き残った大叔父とはなにが違っていたのか。そしてその強烈な体験を抱きながら、大叔父はどんな思いでその後の人生を生きたのだろうか。

敗戦が色濃くなり、もはやこの局面を挽回するには必死の体当たり攻撃しかない。追い詰められた軍部によって特攻戦法は編み出された。それを担った隊員のほとんどがのちに「戦中派」と呼ばれる世代だった。彼らの世界観は戦争によって形成された。そして彼らには「生きる」という選択肢がなかった。

「死を避けようとする努力の余地は、この世代にとっては、ほとんど閉ざされていた」と加藤周一は指摘する。遅かれ早かれ必ず戦争で死ぬ。どうせ死ぬなら、ひとりで多くの敵兵を殺して「華やか」に死にたい。その思いが、多くの若者を特攻へと駆り立てた。血書を書いて出撃を懇願した若者もいる。国ため、天皇陛下のために命を捨てることが美徳とされた。それを疑いもしなかったのは軍国教育によるものだと、生き残った特攻隊員は回想する。「散華」した特攻隊員は英霊とされ、軍神とされた。そうまでしなければ、この行為を理由づけすることはできなかっただろう。いや、そうしたところで特攻を正当化する理由には全くあたらない。

特攻の父といわれる大西瀧治郎ですら言う。

「特攻という、こんなむごい戦争は、悪いということは承知の上だ」

「生きる」という選択はなく、「死に方」しか選ぶことができなかった。なんという凄絶か。

時代に大きく翻弄された若者たち。紛れもなく、大叔父もそのなかのひとりだった。

一度動き出した時代は、望むと望まざるとにかかわらず、その動きに引きずられ、ひとつの方向へと流されていく。気づいたときには、もうあと戻りはできない。ぼくらは、そのことに細心の注意を払い、見定め、選択していかなくてはならない。

喜界島から帰ってしばらくしてから、お土産の黒糖を持って大叔父の仏壇参りに行った。出迎えてくれたふたりの娘さんに旅の報告をした。

「お父さん、後藤隊だったって言ってたね。『震洋』も聞いたことがある。戦後50年の集まりではお母さんとふたりで喜界島に行ってたよ。後藤隊の人たちとはずっと付き合いがあって、贈り物もしてた。やっぱり生死を共にした戦友の絆っていうのは強いんやろうね。でも、戦争のことはあまり話したがらなかったね」

仏壇に飾られたりさ兄ちゃんの写真をカメラで撮った。上山さんと外内さんに、お礼の便りといっしょに送ろうと思う。

著者:ライター・絵描き・クライマー/成瀬洋平

1982年岐阜県生まれ、在住。 山やクライミングでのできごとを絵や文章で表現することをライフワークとする。自作したアトリエ小屋で制作に取り組みながら、地元の岩場に通い、各地へクライミングトリップに出かけるのが楽しみ。日本山岳ガイド協会認定フリークライミングインストラクターでもあり、クライミング講習会も行なっている。

https://www.naruseyohei.com

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PROFILE

成瀬洋平

PEAKS / ライター・絵描き

成瀬洋平

1982年岐阜県生まれ。山でのできごとを絵や文章で表現することをライフワークとする。自作の小屋で制作に取り組みながら地元の笠置山クライミングエリアでは整備やイベント企画にも携わる

成瀬洋平の記事一覧

1982年岐阜県生まれ。山でのできごとを絵や文章で表現することをライフワークとする。自作の小屋で制作に取り組みながら地元の笠置山クライミングエリアでは整備やイベント企画にも携わる

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