
ジャンマリオからもらった、思い出のホールド|筆とまなざし#440
成瀬洋平
- 2025年11月05日
ジャンマリオの”パネリーノ”で遊ぶ
「今週の水曜日にパネリーノに行くんだけど、よかったらいっしょにどう?」
ある日、ジャンマリオからメッセージが届いた。
アパートの斜向かいにあるトラットリア・アルピ。その隣の部屋ではかつてジャンマリオのお婆さんが衣料品店を営んでいた。お婆さんが亡くなってから、ジャンマリオはその部屋に小さなクライミングウォールを作った。いまもときどきやってきてはトレーニングをしている。高さは2.5mほどで幅は5mくらいだろうか。真ん中に幅の違うルーフクラックが作られていて、床にはクラッシュパッドが3枚置かれている。トリノに住んでいるので近くに大きなクライミングジムもあるだろうが、そちらには行かずに1時間ほどかけて故郷のプライベートウォールに登りにくる。その理由はわからないが、こちらのほうが落ち着いて楽しめるのだろう。1時間の移動もさほど苦にはならないようすである。
午後7時。アパートのテラスから外を見ると、いつも閉まっているシャッターが開いていた。クライミングシューズとチョークを持って階下へ降りる。徒歩30秒のところにクライミングジムがあるとは、なかなかの好物件である。
パネリーノに入ると、ジャンマリオとその友人がストレッチをしていた。
「『パネリーノ』って、人工壁っいう意味なの?」
そう尋ねると、イタリア語で「〇〇イーノ」は「小さな」という意味なのだと教えてくれた。「小さなパネル(壁)」。なんとも可愛らしい呼び方である。ちなみに「〇〇イーノ」には「可愛い」という意味もあるようで、音の印象と意味が絶妙に重なっているのがおもしろい。
Apple Musicでロックをかけながら小さな壁で遊ぶ。当たり前だが大きなホールドはない、オールドスクールな壁である。
「ぼくらは登り方自体もオールドスクールだからね」
翌日も登りに行くので軽く登るだけにしたが、ひさしぶりに人工壁を登ると身体全体が程よくほぐれて気持ちが良かった。ジャンマリオはぼくが自宅にプライベートウォールを作っていることも、Instagramを見て知っていた。
「家の壁にこれを取り付けて。オルコの思い出にね」
そう言って焦茶色の小さなホールドをひとつ手渡してくれた。
2時間ほど遊んでアパートに戻ると、ぼくは油性のマジックでホールドの裏にその日の日付と「Gianmario Orco」と書き記した。
帰国したいま、そのホールドはぼくのパネリーノの中ほどに取り付けてある。
著者:ライター・絵描き・クライマー/成瀬洋平
1982年岐阜県生まれ、在住。 山やクライミングでのできごとを絵や文章で表現することをライフワークとする。自作したアトリエ小屋で制作に取り組みながら、地元の岩場に通い、各地へクライミングトリップに出かけるのが楽しみ。日本山岳ガイド協会認定フリークライミングインストラクターでもあり、クライミング講習会も行なっている。

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